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蛇神様のあたたかい巣①

 村の人が突然優しくなった。それはどこか不気味で、なのに私は嬉しくて彼らに言われるがまま頷いて手を取った。今までのことなんて水に流すように、あっさりと。

 十年に一度、村は大雪に包まれる。
 本格的に冬が訪れる前だったけれど、家の中にいても寒さで体が震えた。足の先が霜焼けになるほどだ。寒いも痛いも通り越して、いっそ何も感じない。

 そういう時期だったのもあって、私は村の人に優しく声をかけられてほいほいついて行ってしまったのだ。

 村の長老の家に入ると、「寒かっただろう」とお湯に浸からせてもらえた。お風呂から出れば美味しそうな食事が待っており、夢のような時間だった。綺麗な白い着物に身を包み、こんなに幸福でいいのだろうかと夢のような心地でいると、ふわふわと眠たくなってきた。

 抗いがたい眠気に、村人の前だというのに私はつい居眠りをしてしまった。けれど私には眠っていても周囲の音を取り込む癖がある。一人で生活していくには必要な能力で、自然と身についたものだった。だから眠っていても、近くに人がいれば彼らの声が耳に入ってしまう。

「ちょうどいい贄がいてよかった」
「この年頃の女子であれば、蛇神様にもご満足いただけるだろう」
「さあ、夜が訪れる前に洞穴に置こう」
「そうしよう」

 何やら物騒な話をしていた。私に話しかけた時の声音とは明らかに違う、冷え冷えとした声に心臓が縮みそうになる。

 ……これは私のこと?

 眠っている私の体が持ち上がる。
 ごろん、と何かの上に置かれてゴロゴロと地面に車輪が擦れる音がした。寒い。寒くて凍えそうなのに、起きられない。恐ろしかった。今、目を覚まして逃げなくてはいけないのに、そうしたところでどうなるのだと絶望してしまう。何の救いもなかった。
 とうとう乗り物がとまり、私は再び持ち上げられた。
 びうびう、と冷たい風が触れる。

 嫌、嫌、やめて。

 喉をヒクリと動かすことしかできない。こんなにも恐ろしいと感じているのに、とてつもない眠気のせいで泥のようになってしまって動かない。私の体はポンッと投げ捨てられるように置かれた。

 足音が遠ざかる。彼らがいなくなるのを待ってから逃げるしかない。
 しかし、どこに逃げればいいのだろう。
 人間がギリギリ二人入る広さの小屋に戻れば、事態はもっと酷い方向に傾く。私の家はもう、安全地帯ではなくなってしまったのだ。

 なら、私はどこに行けばいい?

 そんなことを悠長に考えていたからだろうか。近くで大きなものが引き摺られる音がした。
 ずっ、ずっ、と小さな土が擦れる。

「よいしょ!」

 男の声がした。

「これで終わりだな。帰るか」

「ああ、ここはとくに寒い。早く帰ろう」

 彼らは何をしたのだろうか。
 人の気配がなくなってしばらくすると、眠気がやわらぎようやく目を開けられた。
 美しい無垢な色の着物は土で汚れ、またその着物は薄くてひんやりとした質感で、とてつもなく冷える。あまりにも寒いので、心臓が大きく跳ねていた。さらには胃が縮み、気管が逆流しそうだ。

 早く、ここから出よう。

 周囲を見渡すと、微かに光があった。そこへ向かうが、いつまで経っても光は大きくならない。進み続けて壁に当たり、ようやく音の正体が分かった。
 私は洞穴に入れられ、唯一の出入り口を大岩によって塞がれてしまったのだ。

「そんな……」

 手を岩にぶつける。もちろんびくともしなかった。それはそうだ。男性が数人がかりで運んだ岩である。女の私が、すこし手を置いただけでどうこうできるものでもなかった。

「誰か、誰か」

 とんとん、と手を叩く。
 助けなんてこない。
 分かっているから、大きな声が出せなかった。

「……だれ、か」

 助けてくれそうな人の顔を思い浮かべられない。私が八歳くらいだった頃、村の掟を破ったからと殺されてしまった両親の顔は覚えているのが怖くて忘れてしまった。だから死んでも、私は自分の両親を見つけられないだろう。

「……っ」

 声がとうとう出なくなる。喉がカッと熱くなって、涙があふれた。
 死ぬならせめて、光のある場所を選んで欲しかった。

「う……うぇ……っ」

 ゆっくりと日が落ちていく。秋ももう終わり。日が落ちるのは早かった。岩の隙間からのぞく微かな光すら見えなくなる。それが消えたら、私はどうなってしまうのだろうか。恐怖が背筋を這う。

「やだ……やだ……」

 日が落ちると、洞穴の中は本当に真っ暗だった。自分の体すら見えない。体が闇にとけてしまったようだった。
 このまま死んでしまうのだろうか。

 今まで私は、死ぬよりも恐ろしい目に何度も遭ってきたと思っていた。いっそ死んだ方がいいとすら思えるほど、怖いことはいくらでもある。深夜、小屋を叩く男性。森に近づくと獣のような目で私を見る男性。突然、私を殴り罵倒する女性。私の何がいけなかったのだろうかと泣きながら考えた。けれども答えはなく、ただ、そういうものなのだと呑み込むしかなかった。逃げて逃げて、逃げ続けるしかない。誰も自分を必要としていない、そういう心細い日々だった。

「あ……」

 だけどもう、逃げなくていい。
 そう思うとすこしだけ穏やかな心地になれた。あとはもう、死を待つだけなのだ。

 なのにまだ涙がこぼれる。もっと前から、村を出ればよかったのかもしれない。小屋に住み続けてまで耐えてきたのは、いつか優しく手を伸ばしてくれる人がいるのではないかという希望が捨てきれなかったからだ。

 寂しい。

 思い浮かんだその言葉は意地でも出さない。
 ぐっと喉に力を込めて、唇を噛む。

 寂しい。

 だけど、誰も助けになんてこない。

(……そういえば、昔にもこんなことがあったような)

 それはいつのことだっただろうか。
 真っ暗な洞穴の中で、私は力なく瞼を閉じた。

     □

「よしよし、怖かっただろう」

 目尻が撫でられていた。赤子にでも触れるように、ゆったりとした手つきだ。

「目が真っ赤だ。あんな洞穴に一人でいたら、涙も出るよね」

 私は誰かに抱えられていた。けれど村の人と違い、その人は私をしっかりと支えていた。体が安定していて、どこも痛くない。
 不思議と恐怖心が薄れていく。それでもまだ、目を開ける勇気がなかった。

「もう大丈夫だよ」

 ひっそりとした声と共に、瞼の裏に熱を感じた。光がそばにある。もう暗闇ではないのだと伝わってくる。
 そうっと瞼を開けると、真っ白な塊が私を覗き込んでいた。

「おはよう」

 白く長い髪の隙間から赤い目が見える。たぶん、そこが顔なのだろう。

「あ……」

 声や手つきは優しいのに、視界に映っているものが人に見えない。だけど、手も足もちゃんとある。髪以外から見える体はちゃんと人間だ。

「ごめんね。私のこと、怖かったかな」

 髪の毛の隙間から、唇が見えた。はにかむような動きに、私は首を横に振る。

「お、どろ……いて」

 正直に言うとすこし怖かった。いや、すこしどころではない。とても怖い。唇がパクパクと開きそうなほど、心臓が大きな音を立てていた。
 だって私を抱えているのは、人の形をしているけれど人ではない。
 村の人に触れられた時とはまるで違うのだ。
 バチリと何かが発生したような、不思議な感触がある。彼が人であるはずがない、と本能が警鐘を鳴らしていた。
 普通はすぐにでも逃げるべきだ。けれど、彼は決して悪いものではないように感じられる。すくなくとも、村の人よりは【いい人】だと思った。

「あなたは優しい子だね」

 髪のせいで顔はほとんど見えなかったが、温かい雰囲気が漂っている。
 私は彼の言葉にどう返事をすればいいのか分からなかった。
 そんなことを言われたのは、初めてだったからだ。

 彼に連れてこられたのは、神社だった。
 村の近くにこんな場所があったなんて、私は知らなかった。
 よく見れば建物は荒れ果て、周辺は雑草が枯れたあとがある。それでも村の長が住んでいる家よりは立派な建物だ。

「今日はご馳走にしよう。ちょっと待っていてね」

 神社とは別の建物には、勝手場が存在した。彼は普段、そこで食事をしているようだ。畳に下ろされてから、彼が私の倍近く身長が高いことに気づく。……やはり、人ではないのだ。

「あなたは囲炉裏のそばにいていいから」
「は、はい……」

 囲炉裏、と言われてそれが何なのか分からなくて途方に暮れる。

「火がついているところだよ」

 すると彼は、気を悪くすることもなく指を指して教えてくれた。
 言われるがまま、囲炉裏のそばで腰を下ろす。
 そこにいると、指先や足先がじんわりと暖かくなってきた。

(わ、すごい)

 ひたすら布を体に当てて寒さをしのいでいた私とは大違いだ。
 キラキラと火が揺らめいているのを見ていると、美味しそうな匂いが漂い始めた。

「そろそろ食べようか」

 彼は鍋を持ってくると囲炉裏の上に鍋を吊した。ほわほわと湯気が出ている。鍋の中には山菜やキノコ、魚が入っていた。
 そして当然のように私の前に汁椀と箸を置かれる。

 ……こんな豪勢な料理を食べていいのだろうか。
 何か試されているのではないかと困惑する。
 けれど、甘い出汁の香りにお腹がくぅと痛くなった。

「遠慮しないで食べていいよ。私は冬になると冬眠するんだ」

「は、はい……ん?」

 さっき、冬眠と言わなかっただろうか。意味が分からず首を傾げる。
 しかし彼は私が覚えた違和感に気づくことはなく、木製のお玉でふっくらと膨らんだキノコを自分の汁椀に入れていた。すぐに箸でキノコを掴み、白い息を吐きながら美味しそうに食べ始める。こうしていると、普通の男性だ。見た目が珍しいだけの男性に見えてきそうだった。

「……どうやって私を運んだんですか」
「もしかして、何も知らずに来たのかい?」

 質問に質問で返されて、私はどう返事をしていいのか困惑する。答えによっては、目の前の鍋も彼の優しい声も消えてなくなるかもしれないからだ。

「あなたがいた所はね、私に従属している蛇達の巣穴がたくさんある場所なんだ」
「え」
「だからあなたをここまで運んだんだよ。でも、もし何も知らずにあの洞穴にいたのだとしたら……どうしようか」

 うーん、と彼は呻きながら山菜を食べる。喋りながら食べているのに、不思議と品があった。箸の持ち方だろうか。それとも、唇の開き方だろうか。卑しさが欠片もなかった。

「帰りたいなら、明日帰り道を教えようか」

 すこし考えた末に、彼は何でもないことのように言った。
 私は虚を突かれて固まる。帰られるなんて選択肢は考えもしなかったからだ。

「……どこに、帰ればいいのか」

 帰る場所はなかった。探さなければならないが、見つかる保証もない。

「も、もしよければ、私を置いてくれますか。……何でも、します、から」

 もう行き場がなかった。冬が訪れる目前にして、放り出されれば今度こそ死んでしまう。深い闇の中で死が迫った時、私は怖くて仕方がなかった。あんな思いをもう一度しなければならないのかと思うと、何をしたっていいという気になる。少なくとも、目の前の男性は優しかった。また騙されてしまう可能性もあるけれど、頼れる先が彼しかいない。
 私が頭を下げると、彼は小さく息を吐いた。

「本当に何も知らずに来てしまったんだね」
「……どういう、意味なんですか」

 恐る恐る顔を上げる。怒っていたり、呆れていたりする様子はない。
 彼は静かに答えた。

「私はね、村が祀っている蛇なんだよ」

 村には昔から祀っている神様がいた。その神様の話は、私でも聞いたことがあった。もちろん村人に話しかけられて知ったのではない。村人達の話し声をこっそりと聞いて知った話である。
 それは蛇の神様で、村の守り神のような存在だ。

 しかし、十年に一度訪れる大雪の年にはどうしても蛇神様の力が薄れてしまう。
 故に、大雪の年には村から贄を差し出す、という話である。
 だけれど、私は本当にそんなことが行われていると思ったことはなかった。贄を差し出す儀式なんて、見たことがなかったからだ。

「蛇神様……」
「その呼び方は、何だかこそばゆいね」
「あなたが蛇神様なんですね」
「うん。こんな風体だけどね」

 村の守り神だと思えば、得体の知れない恐怖が薄れていく。それに納得もできた。すらりと長い肢体は蛇らしいし、白く長い髪も神物のような神々しさがある。

「それより、食べないの?」
「えっ」
「美味しくなさそうだった? やっぱり、猪肉くらい用意しておくべきだったかな。食べやすいものを多く用意したつもりだったんだけど」

 目の前にいる男性が蛇神様だと知り、私はいよいよ鍋に手をつけられなくなっていた。できるはずがない。時間を巻き戻せるのなら、作らせてしまう場面から戻りたいくらいだ。

「ほらほら、遠慮しないで。何でもするんだよね。じゃあ、これをしっかり食べて」
「あ、そんな。えっと、う」

 蛇神様はお玉を持つと、私の前に置いてある汁椀に入れてしまう。

「好き嫌いのある年頃かもしれないけどね、丁寧に作れば大抵は何でも美味しいから」
「……好き嫌いはないです」

 渋々、否定をすると蛇神様はとても喜んでいるようだった。

「よかった」

 そんな風に安心されたら、断るなどできるはずがない。

「いただきます」

 お腹は空いていた。美味しそうに食べている蛇神様を見ているので、空腹感は一層強くなっている。
 一口、魚の白身を食べる。
 ほわりと舌先に柔らかい熱が触れた。
 蛇神様は私が食べ始めると、私の隣に座り直す。どうしたのだろうかと身構えると、彼は「これも美味しいよ」「遠慮しないで」と食事を勧めるばかりになってしまった。おかしい。これは蛇神様が食べるはずのものではないのだろうか。
 食べ物を渡されても断りたいのに、すこし食べた程度では空腹感は薄れない。むしろすこし食べただけの魚の白身が美味しくてもう一度食べたいとすら思ってしまう。口の中は卑しいくらいに唾液がどろどろとあふれていた。

「ほ、本当に、私ばかりが食べていいのでしょうか」
「何でもすると言っただろう?」
「それは……そうです、けど」
「これがその一つだよ。よく食べて、肉をつけてもらわないと」

 蛇神様の髪の隙間から見える口元は薄く笑みを作っていた。嫌な気分にはならない。むしろ謎の好意の正体が見えて私は安心した。

「そうでした。私は蛇神様の生贄なんですよね」

 自分の体を見る。私の体はとても貧相だ。食べられるような贅肉はなく、骨と皮しかない。霜焼けも酷いから、血すら美味しくなさそうだ。これは深刻である。

「……たくさん、食べます」

 私が真剣に伝えると、蛇神様は首をコテンと横に傾けた。

「よく分からないけど、食べる気になってくれたのならよかったよ」

 彼に言われるがままたくさんご飯を食べ、ふと顔を上げると周囲の空気は変わっていた。先ほどより部屋が綺麗になっている。黄ばんでいた壁や床には艶があり、雰囲気も明るくなったように見えた。

「……どなたか、掃除をされたんですか」
「あ、本当だ。気づかない間にすこし綺麗になっているね。でもこれは誰かが掃除をしたわけではなく、あなたが私を蛇神だと信じてくれたおかげかな」
「私が?」
「人に信じてもらえない神はすこしずつ力を失っていくからね。それで村によっては、神が住む山が崩れてしまう」
「そんなことがあるんですね」

 つまり、今は蛇神様を信じている人はすくないということだろうか? だけど私が贄として選ばれたのだから、それなりに蛇神様を信じている人はいるはずだ。私が信じただけで、これほど変化が起こるのだろうか。

「それじゃあ、次はお風呂に入ろうか。洞穴で横になっていたから、体を清めないと」
「う」

 蛇神様の言葉に私は遠慮したくなった。
 しかし、これも彼がして欲しいことなのだろう。汚い生贄なんて、嫌に決まっている。
 私は頷き、蛇神様の後をついていく。
 浴室には人が二人は入れるくらいに大きな桶があった。桶の中にはすでに湯がはられており、もくもくと湯気が出ている。

「お湯は熱くない?」

 聞かれて、そっと桶の中に手を入れる。冷たくなった指先がじんわりと温かくなった。

「はい。とても気持ちがいいです」
「そっか、よかった。なら入ろうか」
「……はい」

 返事をしたものの、蛇神様は浴室に立ったままだ。さらに彼は私をじっと見ている。出ていく様子はなかった。だが、肌を見せたくないなどと言える立場ではない。

「お、お見苦しかったら、すみません……」

 服の下に、蛇神様に見てもらうようなものはない。そこは貧相で、さらに様々な傷がついている。これを見て騙されたと怒られたらどうしようか。そう思いつつ、私は着物に手をかけた。

「あれ?」

 思わず、声が出た。
 着物を脱ぐと、まるで自分の体ではないような姿になっていたからだ。
 美しい白色の肌。肉がなかった胸はふわふわと大きくなっていて、お腹の辺りにも肉がわずかについている。傷なんてどこにもない。裕福な生活をしている人の体みたいだ。
 これは一体、どういうことだろう。
 蛇神様を見ると、彼は嬉しそうに笑っていた。

「そんなにびっくりするとは思わなかったよ。さっき食べた鍋はすこし特別でね、あなたが普通にご飯を食べて生活していたらなっていただろう姿に戻してくれるものだ。健康的になっただけだから、不安がらなくていいよ」
「そんな貴重なものを食べてしまったんですか」

 さすが神様だ。私は夢でも見ているような心地で自分の体を確かめる。骨が浮いていた鎖骨は目立たなくなり、陥没していたお腹も平らになっていた。とはいえ、いつまでもそんなことをしていられない。
 豊かになった体をまじまじと見たくなるのを堪えて、桶の中に入る。

 お湯の中は気持ちがよかった。村長の家で入った桶よりもたっぷりと湯があって、足も伸ばせる。ほっと息を吐いて、蛇神様の方を見た。彼は着物の袖を持ち上げている。細身の白い腕が見えた。

「何をしているのですか」
「髪を洗うのを手伝おうと思って」
「そんなことまでして頂かなくても」
「髪の毛も伸びて、一人では洗うのも大変だろう」
「あ」

 体ばかりに目を向けていたけれど、髪も長くなっていた。元々、肩に当たる程度の長さはあった。それが今では腰に届くほどになっている。これも食事の影響だろうか。
 驚いている間に蛇神様は用意を終えたようで、私の髪に触れる。優しい手つきで髪をすくと、何かの液体を私の髪につけた。そうして髪を揉むと、もくもくと泡が現れる。シャカシャカと気持ちのいい音がした。ここまでくると、私はもう何が何だか分からない。驚いたまま固まる。
 夜になったら食べられてしまうのだろうか。恐ろしいと思いつつも、私の体は甘やかされて喜んでいた。これから先、生きていたらあったかもしれない微かな幸福をすべて集めて、いっきに消化していっているようだ。
 髪が洗い終わると、私は頭の中までスッキリしたような心地だった。

「蛇神様もよければ入りませんか? 私も蛇神様がしてくださったように、髪を洗ってみたいのですが……」
「いいの?」
「はい、やったことがないので下手かもしれません」
「嬉しいよ」

 私の髪よりも、蛇神様の髪の方が乱れているのが気になった。どこが顔なのか分からないほど髪の分け目が滅茶苦茶だ。自分だけ身綺麗になるのも居心地が悪い。なので私は彼の髪を洗ってみることにした。時折、蛇神様に洗い方を確認しながら、髪をすいていく。
 桶の中に入っているお湯も特別なのか、ゴワゴワしていた白髪もみるみる大人しくなっていった。掴んだ毛束が柔らかい質感に変わり、サラサラになっていく。

「わ……」

 磨けば磨くほど、蛇神様は神々しくなっていった。それは何だか楽しくて、私はもっと丁寧に蛇神様の髪を洗う。月のように光る美しい髪に変わった頃、蛇神様は「もういいかな」と私に顔を向けた。

「楽しかった?」
「――」

 髪を整えた蛇神様の顔を見た私は、声が出せなかった。
 真っ白で柔らかい肌。スッキリとした顔立ちで、目鼻がくっきりしている。赤い瞳は好奇心旺盛な猫のようにも見えるし、思慮深く落ち着いているようにも見えた。唇は薄く、淡い桜の色をしている。
 今まで顔が隠れて分からなかったけれど、蛇神様はとてつもなく美しい顔をしていたのだ。

「あ、あれ。そうか、私の顔って怖いよね。隠そうか」
「いいえ、そのままで……そのままで大丈夫です。私、びっくりしてしまって」
「気持ちが悪かった? 昔はよく、顔を見て怖がられていたんだよ。ほら、人にとっては目が赤いのも髪が白いのも不気味だろう」

 当時のことを思い出したのか、蛇神様は苦笑する。明るく話そうとしてくれているのに、彼が傷ついているのが伝わってきた。

「本当にびっくりしただけです。蛇神様があまりにも……う、美しくて」
「あなたはとても優しいね」
「……本当に、そう思っています」
「うん。そうなんだなって、私にも分かるよ」

 蛇神様は私の隣に座り直すと、体をくっつけてきた。私みたいな人間が、蛇神様と肌を触れ合わせていいのだろうか。

「何でもするとあなたは言ってくれたけれど、実はね、本当にして欲しいことは別にあるんだ」

 彼はすこしだけ黙ると「本当はこんなことを、あなたに頼むのは気が引けるんだけど」と掠れた声で呟く。よほど言いづらい内容なのだろう。

「ごめんね、私はどうしても寒いのが苦手で体を温めてくれる人が必要なんだ。できる限り、不自由はさせない。だからどうか、私の願いを聞いてくれないかな」
「……それくらい、大丈夫ですよ」

 とうとう「食べさせて欲しい」と言われるのではと思っていたので、蛇神様の願いはささやかなもののように思えた。

「私でよければ」

 頷くと、蛇神様の頬がわずかに赤らんだ。

「ありがとう。できる限り手順を踏んで、冬が訪れる前に巣を作ろうね」
「はい……?」

 彼が言っている意味はあまりよく分からなかったが、私は頷いた。

 もちろん、よく分からないまま了承してしまったことに後悔はない。私は慈悲深い蛇神様のためなら何をしてもいいと思っていた。私のような人間にできることなら、どんなことでも叶えてあげたい。
 夜になり、蛇神様は巣を作る準備を始めた。

「毎年、冬を越すのは大変だったんだ」

 暗い室内で、蛇神様は静かに囁いた。
 すこし大きな布団の中に私と蛇神様が一緒に入る。横向きになった私の背後に蛇神様はくっついた。肌が透けるような長襦袢一枚しか着ていなかったけれど、抱きしめられているためか、それほど寒さは感じない。

 彼の両手と両足は、私の体をゆるゆると這っていく。サリサリ、サリサリと布団が控えめに擦れる音が続いていた。

「これは私だけでは、どうにもならないことでね」

 蛇神様の手はやや冷たい。その手のひらが長襦袢越しにお腹を撫でる。おかしなことに、冷たい手に撫でられても私の体は熱を増した。じわりじわりと熱が込み上げてくるのがとめられない。
 何となく、股の間を強く閉じた。

「でも、私のもとを訪れる贄は私を見ると怖がって逃げてしまうんだ。……だから実を言うと、巣を作るのは初めてなんだよ。もしも、嫌だと思うことがあったら言ってね」
「はい……」

 頭がチカチカする。これは何だろうか。
 脇の下を指先がそっと這う。長襦袢越しに肌の輪郭を確かめているようだった。するりするりと指が艶めかしく左右に揺れながら進み続ける。うなじも、耳も蛇神様に触られる。髪の生え際をじっとりと擦り、耳の凹みにも指を入れてなぞっていく。もったいつけるように、ゆっくりと。

「蛇神様、巣を作るってどこに作ればいいのでしょうか」

 蛇の巣はどういうものだっただろうか。私も一緒になって穴を掘るべきか。それなら人手も必要だ。蛇神様の体は大きいからその体にあったものを作らなくてはならない。冬の寒さが訪れてからでは、穴を掘るのも大変だ。

「巣はね」

 ひっそりと、しっとりと、蛇神様は口を開く。眠たいのだろうか。耳が蕩けるような声だった。私はその声をそばで聞いていると、さっきから股がむずむずする。自分で触れたくなるような、変な感じが続いていた。
 蛇神様の手がするりと下に移動していく。ヘソを素通りし、下腹を通り、もっと下。

「んっ……」

 むずむずしていた部分に蛇神様の指が触れた。

「ここ」
「あっ♡」

 股の間を撫でられ、腰が震える。

「ここに、作るよ」

 すすっと股を撫でられて、私は腰が跳ねてしまう。蛇神様の言っていることが分からない。私の体に作るということだろうか。

「……わ、私に、できる、でしょうか。入らない……かもっ」

 股の間に巣を作るということは、私は結局死ぬのではないだろうか。恐怖で身がすくむ。体が耐えきれず、引き千切られるのを想像してまた怖くなる。魚が水を失って死ぬ寸前のように足がピクピクと跳ねた。

「あ……あぅ……♡」

 死を宣告されたはずなのに、蛇神様に股を弄られると熱が解れて蕩けそうになる。

「大丈夫。あなたの体はちゃんと巣を作って欲しいと思っているから、すべておさまるよ」
「よかった、です……んっ♡」
「ピリピリする? 最初なのに、順応が早いね。それとも、一人で弄ったことがある?」
「何を言っているのか、わ、分かり……ません……っ♡ あの、ここ、汚いの……では……」
「綺麗だよ。舐めてもいい」
「お、おやめ……くださいっ……」

 冗談だろうと思いたい。
 しかし、蛇神様の声にからかいの色はなかった。心底、そう思っていると言わんばかりに真剣な声音だ。

「そうだね、まだ早い。最初の夜だから、指でゆっくりならそうね。大丈夫、体はちゃんと理解しているようだから」

 私自身が何も分かっていないとを見通しているのだろう。蛇神様はそう言って、ゆるゆると股の間を弄る。そうしていると、股の間にしこりのような何かがあると気づく。そこを蛇神様に撫でられて、きゅっと足の指に力が入った。

「気持ちいいの覚えられて、えらいね」

 よしよしと頭を撫でられながら、股の間も同じように撫でられる。
 力が入った足の爪先には、蛇神様の足が触れていた。まるで力を解くよう、指摘しているかのように足を擦りつけてくる。

「うっ♡ うっ♡ ……うう――ッ♡」

 これが、気持ちいい?
 蛇神様に言われて、もう一度気持ちいいを体験する。
 股の間にできた硬いものがコロコロと転がされる。ビクン、ビクン、と激しく体が波打った。

「はう♡ は、はう……♡ ひぅうう……〰〰〰〰♡」

 汚い声を出さないよう心がけるものの、おかしな声がとまらない。苦しくてたまらないはずなのに蛇神様の指がすこしでも離れると落ち着かなくなってしまう。

 ――もっと、触れて欲しい。

 そう思うようになるまで、そう時間はかからなかった。

「ぬるぬるだ」

 長襦袢の上からでも、滑りを感じ取ったらしい。
 私は恥ずかしくて、顔から火をふきそうだった。

「この温かいぬるぬるをたくさん出せるようになろう」
「そうすれば、蛇神様は暖かい冬を迎えられますか」
「うん。とっても暖かい冬になるよ。こんなに冬を楽しみに思ったことは一度もないな」

 早くこの中に入ってしまいたい、と蛇神様が言う。
 そうなったら私は死んでしまうのだろう。でも、蛇神様の指が長襦袢の中に入って、さらに股の間に入りかけると体は悦んでいた。幸福を味わっていた。離れていく指を惜しんでいた。もっと、欲しい。もっと、きてほしい。私は正しく蛇神様の巣になりかけているのかもしれない。

 えらいね、上手だね、と蛇神様に褒められると嬉しくなる。
 恥ずかしくて股を閉じていたはずなのに、気づけば私は両足を軽く折り曲げて左右に広げていた。

「あ、あ、あ♡ あう♡ う♡ あっ♡」

 ぬるぬると指が滑っていく。体がカッと熱くなっていた。冬なのに、肌に汗が浮かんでいる。
 けれどそれは仕方ないことだったのかもしれない。
 だって、体に穴ができている。股の間に指がゆっくり入ってくるのだ。お尻の穴とは違う、別の場所。時々、血が出る陰湿な場所が蛇神様の指を包んでいた。

「痛い?」
「痛くない……です。でも、変な声が出てしまって……っ♡」
「可愛いから、我慢しないでいいよ」

 蛇神様は落ち着いた様子で私に言葉を与えてくれる。頬が火照るような優しい言葉ばかりだ。

「もうすこし、激しくしてみようか?」

続きのえっちなシーンはFANBOXに掲載されています。

ねっとりお触りされる生殺しです。